僕がもし、これから起こるであろう戦争やテロで死んでしまっても、あなたは悲しまない で下さい。 僕がココに生まれ、育ち、幾万の血と繋がっていったのは偶然かもしれませんが、世界と 言う壮大な「生き物」を壊そうとしたことは、確かに誰かが望んだ事なのです。 その中に、成分としては1%にも満たない僕が含まれた。 それだけなんです。 故に、女、子供の差別は無く、皆、平等に死んでいきます。 命令を下す者には逆らえません。 標的になる事を受け流せません。 僕は地球を愛しましたが、地球から返事をもらった事などただの一度もありません。 だから多分、僕は生命としての連鎖に必要だった一個であり、そしてこの瞬間切り捨てら れた一個だったのです。 地球は残酷なのでしょうか。 世界は世知辛いのでしょうか。 もう、考えるのが嫌になりました。 なので、僕はテロリストを雇おうと思います。 一人で死ぬのは辛いです。 一緒に行きましょう。 皆で行けば、怖くは無いはずです。 ビルの二階の自分の机で、少し質素な昼の弁当を食している時、怒鳴り声と共に会社の中 へ見知らぬ人間が駆けて来た。 「うおぉぉぉぉ!」 廊下を歩いていた新米社員を押しのけ、昼間のひとときを寛いでいた三年目の社員を押し のけ、踏ん反り返った社長の秘書も押しのけて、やって来たのはビルの二階。 僕の居る部屋。 怒鳴りちらす男の脇にはダンボール。 ガムテープでグルグル巻きのところどころが穴だらけな。 中には、赤と青の配線が生命線の簡素な爆弾が入っていたようだが、それを察知出来た人 間はいないようで、警察へ通報すれば事が収まると誰しもが思った。 しかし、僕は違った。 僕はそれを見た瞬間、全身から汗が噴出していた。 弁当箱を投げ捨た。 カバンも持たず、思えば誰かを突き飛ばしたのかもしれない勢いで、靴が脱げるのも構わ ず廊下へと走っていた。 良く分からない。直感で行動した。と言えば嘘になる。 僕は常日頃、こんな事件が起こるんだと想像を膨らませていて、それなりの対処が出来る 自信があったのだ。 犯人は一人だろうと言う事も察した。 何故なら、複数で嗾けた(けしかけた)人間が、それこそトランシーバーなどの通信環境 を整えない限り一人一人別々の行動を行うはずが無い。 だから、銃なんて生易しいものも所持しているはずが無い事も分かった。 部屋を出ようとして、部屋の入口付近で僕はコケた。 膝から転げ、変に引っ張られたのかベルトがベキンと音を出し壊れた。 僕は、ベルトを捨てて、がむしゃらに走るのを再開した。 状況が状況なだけに、「なんだアイツは」と言った笑う声は聞こえなかったが、それでも、 その場から身を動かせる人間は僕以外に居合わせなかったらしい。 僕が階段を下りて一階の廊下に差し掛かった時、はるか彼方、二階に居る同僚の女性の甲 高い叫びが聞こえた。 爆弾を持っていた男が、箱を脇に置き腰に付けられていた数本の火炎瓶と手榴弾を数十本 ばら撒けたのだ。 ズン ビルが火を噴いた。 ビルは怪獣だったのか。 牙を剥き出す獣だったのか。 違う、ビルは所詮ビルでしかない。 男のばら撒いた数十本と、ダンボールの箱から発生した瞬間的なエネルギーは、密閉して いたビルの隅々まで蔓延し、透明な窓のガラスを一瞬にして微塵と化した。 その火力はビルを出たばかりの僕の背中を焼き尽くす程強力で、僕の服は瞬く間に燃え、 火達磨のように転がるしか出来なかった。 それを目撃した少年がポカンと口を空けたところで、炎上していく ビル全体がひび割れた 部分から傾いていき、事件を聞きつけたカメラマンやジャーナリストの手によって鮮明に 記録され、予定されていた夜のニュースの内容が書き換わっていった。 このビルには、僕の親友が働いていた。 とても気さくな奴だった。 ことあるごとに僕をけなし、よく騙し、酒に溺れる奴だった。 これではダメだと、半場無理やり病院に通わせ、薬を使い、リハリビもして、精神及び心 身は元のそれに戻り、本来筋肉質だったものだからスポーツが大好きになった。 これが良かったのか、僕達の仲は向上した。 嘘も付かなくなり、恋路の事なんかも平気で話せる間柄となる。 そして多分、僕が息を引き取るその瞬間まで、奴とは親友の間柄でいられるものだと思っ ていたのだが…。 ビルの拉げた(ひしゃげた)鉄筋と消し炭になりそうなガラクタが山となって、想像を絶 するよりも遥かに現実的な事件現場がそこにはあった。 きっと遺体らしい遺体は見つからないだろう。 形なんて、残るはずが無い。 ビルは砕け、コンクリートと言う部品に変わり、残骸と、残骸と、残骸と、残骸に埋まり、 それだけでは飽き足らず、潰れないはずの精神まで焼け爛れ、赤は地面へ流れる事無く蒸 発しては空へとまみれた。 馬鹿にする奴らを殺す…と言う目標を決めた殺しと、ムシャクシャしてやった…と言う無 作為な殺しと、一部の人間に望まれた戦争と、それを反対しスパイだなどと罵られ殺され ていく一般人と。 またはそれの返り討ちにあう愚か者と。 何が違うのだろう。 たちまち殺意が目覚めれば、その殺意に駆られる人間が出現する。 そして、実行に起こせるだけの勇気と、意外性と、混乱しきった脳が備わっていた。 ただそれだけ。 根本による善悪は無く。 また、弁解し得る理由も無く。 だから、どこの誰だか知らないが僕の親友を殺したことに変わりわない。 そう、僕が逃げた事にだって弁解の余地はあるはずが無いのだ。 目を覚ますと、そこは個室の病院ベッドだった。 ふかふかとした肌心地が焼け爛れた背中には按配が良い。 病気になど掛かったためしが無いので縁が無い所だと思っていたのだが的は外れたようだ。 さて、今は何時だろう。 よくある、三日は眠っていたと言うやつだろうか。 囁くような時計の針の音が鳴り始めたと思うと、部屋をノックされた。 暫く呆けていたらしく、口から垂れていた涎を拭った僕はドアからやって来る人影に身構 えた。 「気づきましたか、いやはや、精神がお強いようで」 ドクターが入ってきた。 とても若く、下手をすれば中学生でも通りそうな顔立ちだ。 「親友譲りですが」 僕は応えた。 声に精気が無いのが分かった。 「ああ…、はい、そうですね。ええ、そうなんでしょうね。親友の方とは随分仲が宜しか ったのでしょう」 落ち着き無くドクターが返答し、そして落ち着き無く深刻な顔へと変わった。 「混乱しないでくださいね」と早口に言う。 正直、あんたが混乱しているんじゃないのかと突っ込みたかったが、言葉になるはずも無 く、背中の焼ける痛みがズキズキとぶり返した。 「まずはこれをご覧になってください」 ドクターは一枚の封筒を僕に寄越した。 普段頭に思い浮かべる茶色いものとは違い、真っ黒な封筒だ。 中には手紙と解釈してよいのか分からないくらいしわくちゃな紙が入っていて、四つの折り に畳まれていたのでスッと広げてみた。 親友の筆記で何やら書かれていた。 「僕宛ですね。あの爆弾魔は親友が寄越したと?」 ドクターは、僕が取り乱さない事に安心したのか、 「ええ、そうです。こういった場合、真犯人と言うべきでしょうか。 あなたの親友が、黒 幕だったと言う事です。もちろん、それが本当の事だと言う保障はどこにもありませんが …」 「無理やり書かされたと言う可能性もありますからね」 ドクターの表情は虚ろだった。 後頭部をぽりぽりとかく姿勢をしたまま、部屋のあちこちに視線を移して見せている。 そこで、僕には分かってしまった事が一つあった。 「それでは、確かに渡しましたよ。あなたの親友からの封筒を」 僕の返事を待たず、花瓶に生けられた黄色く染み付いた向日葵の花をそっと撫でて、ドク ターは立ち去っていった。 それから数刻して、ドヤドヤと複数の警官が部屋に立ち入ってきた。 一番背の高い探偵風な男が僕に言う。 「お騒がせしてすまないが、ここへ医者の姿をした不振な男は来なかったか?黒い封筒を 持って居たらそれなんだが」 ああ、ドクターの事か。 「いえ、来ませんでしたよ。と言うよりもたった今起きたところです」 指紋検査などをドアノブに施す女性が一人。 髪の毛でも落ちていないかと地面に這い蹲る男が一人。 地図とノートと何か怪しげなファイルを開きながらコンパスと鉛筆でカリカリ書き出して いる者が二人。 背の高い男の後ろでじっとしている者が一人。 僕が様子を見ていると、それはすぐにおさまって、 「ん、そうか。用件は終わったので、我々はこれで…。事件のすぐ後だし寝ていたいだろ う、お騒がせして悪かった。あ、もし不振な奴を見たらすぐにこの名紙へ連絡してくれ。 では」 またドヤドヤと、立ち去っていく足音がしてその場は一斉に静かとなった。 静かになって、時計の針の音が聞こえ始めたその時、それまではどうともなかった眼(ま なこ)から一粒何かが零れて、次の瞬間には溢れかえらんばかりに流れ出し、シーツの上 を濡らしていった。 今日の事件。 ビル爆破。 生き残ったのは10%にも満たないと言う。 記憶の中の話。 ここは僕の夢と現の間の不確かな場所での独り言だ。 随分昔の事だが、今まで忘れていた言葉がある。 親友が語った夢の言葉。 「俺は滅びたい時に滅ぶ。自らの手で滅ぶ。寿命で滅びるなんて真っ平だ」 会社の喫煙室で二人っきりの時に交わした会話のトドメを刺す一言。 この言葉以降、二人は黙々と煙草を吸い続ける事となる。 はあ、なんだこいつは。何が言いたいのだろう?と言う感覚しかその時は無かった。 精神的に親友が一番危ない時の言葉だったので、ハイハイとかヘイヘイとか受け流す感覚 でしか聞くに耐えなかったから。 けど今となっては、起こってしまった出来事と照らし合わせることで、少なくとも四角い 折り紙から鶴を織り出す最初の跡付け作業くらいには合点がいくのだと分かった気がする。 治療したところで、身体が全快したところで、心そのものはすでに機能を停止させていた んだろう。 爆弾魔が来るその瞬間まで、親友は残り粕で動いていたに違いない。 誰にも言えず…、僕にさえ言えずに。 僕の姿勢が考える人のようにうずくまっていく気がした。 数刻考える。 親友のいきついた理由の考えを。 親友はきっと、予想だに出来ない何かによる劇的な死を望んだに違いない。 親友はきっと、この世界が嫌になったのだ。 親友はきっと、笑うのが疲れてしまったのだ。 親友はきっと、元々親友ではなかったのだ。 親友はきっと…。 親友は…きっと…。 ああ、まるで、木の葉が落ちる瞬間を見ている気分だ。 落ちる瞬間まで、落ちる事に気付かない感覚だ。 「やるせなさばかりだ。後の祭りだ」 もういい、考えるのはやめよう。 答えを知る者がいないのでは、何をしたって無駄だろう。 それよりも、親友よ。 もう一度会おう。 会って再会の言葉と、軽い冗談を交わそう。 そうだスポーツもしよう。 バスケが好きだったな、テニスも得意だったか。 やろう。 とことんやろう。 「やって、汗をかいて、爽やかなキモチで、鋭利なナイフで、僕を殺せ」 …なんて言ったところで、 「親に説教を立てられて、おまえは心の中で「死ね」と思ったことは無いか?分かるだろ。 それこそが妥協。自ら殺すことが出来ず、いつか死ねと思うだけ。そして、そいつが死ん でしまってから激しく後悔するんだろう。突発的に思ってしまった、哀れな感情を」 の逆、殺される時に死ぬなんて事を言って、僕をまた混乱させるんだろうな。 ああ、これも親友の言葉だ。 食物連鎖からはみ出した僕達は生きている事自体が奇跡だと言うのに、と言うんだろうな。 生きている事が奇跡のようなこの空間で、死ぬ事すら奇跡と感じるその精神で、殺すこと 殺される事も悪魔の仕業だと恐れられる聖なる祭壇の前で、僕はいったい誰を拝めばいい と言うのだろう。 愛する事と、愛する者の為に死ねると言う事は酷似すると科学者は言った。 愛した者を殺す事と、生涯をかけて愛していく事は同じだと、魔術師は言った。 そんなものは愛じゃないと、僕は思ったけれど。 親友の煙草を二本吸ってみせる姿が印象的だったな。 …変だな。 今日はどこまででも記憶を遡れる気がする。 人の頭の引き出しは、こうまで錆び付かないものなのだろうか? 不思議な日だ。 満月が出る日はどうもおかしくなるらしい…。 「あなたぁ…」 寝室で、パジャマ姿の妻が声を上げた。 「考え事してたの?」 僕が、持っている小説を開いたまま目を通していないので、そう聞いてきたのだろう。 僕はパタンと本を閉じた。 「ん………、ちょっとね」 「何々、昔の失恋の事とか?あー、図星なんでしょ。顔にそう書いてあるよ」 何も分からない妻は、そう行って笑った。 僕は、本棚に本を戻しながら言う。 「まあ、似たようなもんだよ。親友との思い出を…ね」 すると妻はゴロンとベッドを転げて、 「なんだぁ、男同士はパスー」 なんて言って見せた。 それから少しいちゃいちゃして、妻は眠りに入っていった。 僕は風邪を引かないよう布団を肩まで被せてやってから、そっとベッドを抜け出して、外 のベランダの椅子へと腰掛けた。 西からの風が薄着な身体には冷たく吹き付ける。 僕は顔をうつむかせ、祈るように木目のテーブルを見た。 なあ、親友。 君は今も空の上で、僕を見ているんだろうか? 人は不幸になるなんてよく言ったものだ。 不幸には限界がない。 果てしなく下がある。 僕がこうして思う以上に、苦しむ人間だっているはずなんだ。 日々餓死していく人間だって、五万と居る事を知っている。 だから僕は、この場所で、この空間で、これから、これまで以上に、これからも元気で 生きようと思う。 死にたい病が孕むこの世界で生きていける精神は最強だと思うから…。 妻が寝ている部屋の中の暖かさを思い僕はベッドへと戻った。 花柄のスタンドの明かりを消し、ベッド深くに身体を潜り込ませながら、先ほどまで居た ベランダの方、カーテンの向こうの銀幕が降りそうな空を見た。 満月の傍らで、幾万人の生命が光り輝くようだった。 ―――そして朝日は昇り出す。 僕のこの純、残留思念を殺すために、朝日は昇り出すのだ。 戻る |